8/24 夕立とランクヘッドと秦基博
2009.08.24 Mon

ひどい夕立で、買い物に行く予定を諦めて家に籠る。
雨が強くなってきた頃にテレビをつけたら、ちょうどスペシャでハタくんが歌っていた。相変わらず透明な歌で、夕立の中で聞くにはちょっと爽やかすぎた。
それからランクヘッドの新譜がツタヤさんから届いていることを思い出して、ずいぶんと前評判が良かったので期待しながら聴く。
最初に言っておくと、僕は特別ランクヘッドが好きな訳ではないし、全然詳しくない。インタビューも読んだことが無い。
だけれど、アルバムの『月と手のひら』と『プルケリマ』を持っていて、一時かなりの頻度で聴いていた。この2枚は結構パキパキのギターロックなんだけど歌詞が暑苦しい音楽で、でもボーカル小高の切羽詰まった感じ、泣きながら歌ってそうな雰囲気が好きだった。
それで今日『孵化』と『ATOM』を聴いて(まだ一通ししか聴いてないけど)、相変わらずの暑苦しさに驚いた。『プルケリマ』から3年以上経っているのに、小高の声も、歌っている言葉もほとんど変わっていなかったから。
これは歌詞だけから想像したことだけれど、小高はきっと、何度も絶望したんだと思う。自分にも世界にも愛にも。デビュー当時やデビュー直後も悩んでいたから歌が出来ていたのだろうし、それなりの地位を確立した今でもなお、どんどんわき上がる絶望と向かい合っている気がする。
それでも小高は世界を愛しているし、愛を欲していて、それはずっと変わらない。その変わらなさがきっとランクヘッドの、というか作詞家としての小高のすごいところで、年を取れば取るほど深くなる小高の苦悩と周囲への愛がどんどん濃密な楽曲になって吐露されるのだろうと思う。
年を取るごとに歌の世界が広がっていくのが多分普通のアーティストの進化だと思うし、ネガティブな感情を昇華するために歌詞を書くという行為はそう長い間続けられるものじゃない。歌う範囲や心情がほとんど変わらずに、密度だけがどんどん濃くなった、それが今のランクヘッドなのかなと思った。
混沌として湿っているのになぜか眩しいランクヘッドの音楽は、夕立にとても合っていました。
今度ライブに行こう。


